2008年06月22日

■ 不屈のひみつ(漂白人生も京都で終止符)

宗教学者である山折 哲雄(やまおり てつお)さんをご紹介します。


山折さんは、国際日本文化研究センターの所長も務め上げた方で、現在も同センターの名誉教授という立場の方です。

国際日本文化研究センターは略して日文研といいますが、「真理の追求」を目的とした内外の研究者が集い、地道な学問研究を積み重ねているところです。

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山折さんは、「若い頃はけんかっ早くって。そのうえ病気体験も豊富だから」と自らをお話しされています。

母校である東北大学の助手に採用されましたが、主任教授と対立して1年で辞職。
次に勤め始めた民間の研究所は、3年ほどで脱税で摘発されてしまい、また、37歳の時には十二指腸潰瘍ができてしまったようです。

この頃のまだ回復していない体を守るために工夫されたことは、込み合った電車で力いっぱい押してくる人は、2度押し返してからそっと体を引く、というものです。
こうすることで重みを感じなくなり、自分の力で立っているのが実感できて体への負担も少なくなるということです。

このことを通して、「人間関係は、押すばかりではだめ」と学ばれたようです。

ですが、「学問には批判精神が必要だ」との考えが根本にあったようなので、また東北大学から誘いがあって助教授になった時にも、また教授と意見が合わずに4年半で退職されたそうです。

このときの反省として、「人間関係は、押すばかりではだめ」と自らに言い聞かせていても、「いざ、その場になると、考えているようには行動できなかったなあ」と振り返えられています。

それだけに、世話になった医師の「患者の痛みを止めて、ほめ、手でさすることが私の仕事」という言葉が心に響いたようです。

それに対して、「痛みを止めるどころか、ついて刺激し、ほめずに批判し、さするのではなく、言葉で刺して圧力をかけてきた」と、自身を省みられています。

結婚後の引っ越しは10回以上で職も転々とされた山折さんですが、この漂泊人生に終止符を打ったのが京都です。

暮らし始めてもう20年になるそうですが、何より、「水が合った」。そして「日本の歴史を散歩しているような気分になれる街だから」と語られています。

また、次のようにもお話しされています。
「定職についていなかった時は、不安から逃れようとして歩いた。だが、京都では、歩く時間が楽しくてならない。3年前に所長を退任してからは、暮れていく空を見ながら、作務衣に下駄を履き、自宅近くの四条通りを散歩するのが日課になった。
「歩くことは、死に支度にもなるんですよ」。「寝たきりにならず、自然に死ぬには、足腰を鍛えなくては」・・・と。

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山折さんの漂泊人生を通して何を感じられたでしょうか。

仏教では、「人間は生きながらにして、知らず知らずのうちに業を重ねている」と説いています。

それは「自分が無意識でもポケットにゴミがたまるようなもの」と比喩されますが、それがいろいろな「因縁の元となる」と。
そして、その因縁を消除するのは「人を救けるという善行である」とも。

山折さんは、節目節目で「菩薩の妙音」を聞かれています。
それにより自己を反省思惟して心を正し、そして、それを実践されてきたところに「不屈のひみつ」があるように思えますが、いかがでしょうか?


タグ:山折 哲雄
posted by ペガサス at 16:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生をひと工夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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